少子化や核家族化、高齢化がすすみ、一人暮らし高齢者の数は増加の一途をたどっています。
内閣府の調査によると、高齢者人口のうち男性13.3%、女性21.1%が一人きりで生活をしています。(『平成29年版高齢社会白書』内閣府)
家族関係の希薄化、地域のつながりの脆弱化などから社会的孤立という言葉が頻繁に聞かれるようになった昨今、
「経済的な貧困」だけではなく、「関係性の貧困」も
困窮に陥る要因の一つと考えられます。
歳を重ねていく中で定年退職や配偶者との死別を経験し、人との関わりが乏しくなっていくことは、誰にでも起こりうるリスクです。
しかし、今回お話しを伺ったTさん(男性・75歳)は、物心つく頃から家族も親戚もなく、これまでずっと天涯孤独の身で生きてきました。
生活に困窮した人の生活を支援する施設「川越第2寮」(川越市内の無料低額宿泊所)で生活するTさんに、これまでの人生についてうかがいました。
戦時中に東京で生を受けたTさんは、山形県に疎開し、施設に預けられました。
「戦争がおわっても施設に預けられたまま両親は迎えにこなかったような時代で、子どもの頃は勉強の代わりにずっと農作物を作ってた」
肉親のいないTさんは、終戦後もそのまま施設に残り暮らすようになります。
当時、学校で教育を受けることができなかったため、Tさんは今も漢字の読み書きができません。
「私は学問がないし、身元保証人もいないから、普通の会社勤めは全然ダメ」
施設を卒業する年齢を迎えた時、Tさんと社会とをつなぐものは何もなく、生きていくための選択肢はカラダをつかって働くことだけでした。
それからは、全国ほうぼうを渡り歩き、「飯場」で解体の仕事を見つけては暮らしてきました。
「寝るところもあるし、食事もつくし、働けば生きていける」
Tさんが身を立てるすべは、それ以外に見つからなかったといいます。
どこかに定住することがなかったとはいえ、若い頃は体力も気力も充実しているもの。そのころ楽しみだったことは何でしたか?とたずねると、
「家族もいないし、友だちという友だちもいない。そうなるとね、休みに何もすることがないんだよ」という答え。
「ほんとうにすることがなくて、ついつい競輪・競馬に行っては、稼いだお金をみんな使ってしまった」
今でこそ私たちの身の回りには沢山の娯楽があふれていますが、ひと昔前までは暇つぶしにギャンブルに行くという人も多かったのではないでしょうか。
「もともと、いじっぱりな上に、すぐにカーッとなる性格で、人づきあいも上手にできなかった」
人との関係性をうまく築くことができず、「暇」と「孤独」を紛らわす手段としてギャンブルを選んでしまった結果、手元にお金を残すことができませんでした。
青年期を過ぎ高齢になっても、建設現場を転々とする生活を続けていたTさんでしたが、70歳をすぎた頃ついに限界がおとずれます。
翌日高崎の現場へ移動するため、その日は埼玉県川越市内で仮眠を取ろうと健康ランドを利用していたところ、
「急に体に力が入らなくなって、立ち上がれないから這いつくばってフロントまで行った」
「自分じゃ分からなかったんだけど、ろれつが回ってないですよ、救急車よびましょう!って言われて」
救急搬送され病院で検査を受けた結果、脳梗塞と診断され1カ月の入院を余儀なくされました。
「高崎までの電車賃さえあればって5,000円しか持ってなかったから、すぐに看護師さんに病院代払えないですって相談したんです」
Tさんは病院の医療ソーシャルワーカーに繋がり、入院中に生活保護を申請することになりました。
急性期を脱したのち、さらに1カ月間のリハビリを経て、医師からは退院の許可が出ましたが、後遺症により手足を自由に動かせなくなってしまいました。
「働けば食べていけると思っていたのに」
Tさんにとって生活の資本であった体が、もう以前のようにはいうことをきかなくなっていました。
「働くこともできない、身寄りもない、住むところもない・・・」
Tさんを孤独感と絶望が襲いました。
そんなTさんを、ケースワーカーから依頼を受けたSSSのスタッフが訪問し、施設についての説明をしました。
「正直いうと、最初はどんな所なのかイメージできなくて、不安だった」
けれど、実際に施設に来てみて職員と話をしたことでTさんの不安は払しょくされます。
「施設での生活についていろいろ案内してくれてから、大変でしたねって缶コーヒーを一本くれたんです。病院代さえ払うお金がなくて情けない思いでいる自分に、優しく声をかけてくれた。たとえ1本の缶コーヒーでもその気持ちが心底うれしかった」と、声を詰まらせながら話してくれました。
こうしてはじめての施設での生活をスタートしたTさんでしたが、長年各地を移動してきたため、住民票が一体どこにあるか分からない状態。
職員が手続きについてアドバイスし、本籍地の役所とやりとりをして無事に住民票の異動を完了しました。
「私は漢字が読めないから、書類を代わりに読んでもらったり、いつも手伝ってもらってるんです」
脳梗塞の再発を防ぐために欠かせない服薬に関しても日常的に職員が見守りを行っています。
そして、入所当時は身の回りのことは自分でできる状態だったものの、様々な機能の低下により、現在では日常生活動作に支援が必要なことが増えてきています。
「前は杖なんかいらなかったのに、すっかり動きがにぶくなって、杖か歩行器を使っている。食事も器を落としてしまうので下膳を手伝ってもらってる」
自分で何とかしようと思っても、思うように体が動かないもどかしさを感じているようです。
施設という共同生活の中で、すこしでもTさんが過ごしやすくいられるよう、介護保険の申請手続きやベッド導入の検討、入浴の順番の配慮など、職員はできる限りの支援をしています。
Tさんに現在の生活について聞いてみると、
「困ったことがあれば手伝ってくれて、出入りも自由だし、外出もつきそってくれたり、職員が本当によくやってくれる。こんなに親切にしてもらったことはない。ここがなかったら、のたれ死んでいたと思う。感謝の気持ちはずっと忘れない」
と声を震わせながら答えてくれました。
その一方で、
「働きさえすれば一人でも生きていけると思っていたのが間違い」
「もうちょっと自分から歩みより、人と関わって生きてくればよかった」
と後悔をにじませながら話す様子が印象的でした。
家庭環境や教育の機会といった生来の境遇を覆すことは困難です。
けれど、人との関わりを大切に生きるということは自分の意志でなせることであり、それがのちにあなたの生活を豊かにしてくれるかもしれません。
「経済的な貧困」だけではなく、「関係性の貧困」に今から備えておくことが、
今後、ますます重要になってくるのではないでしょうか。
文(聞き手):梅原仁美
取材日:2018.10.30
埼玉県川越市藤間60-1
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