人が仕事を選ぶ時、
そこに安定を求めるか、やりがいを求めるかは大きな分岐点です。
両立できる仕事が最高ですが、多くの場合両者は相反するものです。
給与が安定している
事業が安定している
リストラがない
こういった生活の安定が見込まれる仕事を望む人が多いのではないでしょうか。
ですが中には、収入が安定しなくても、自分がやりがいを感じる仕事をしている人もいます。
今回お話しを伺ったのは、生活に困窮した人の生活を支援する施設「本町荘」(23内の無料低額宿泊所)で生活しているIさん(男性・72歳)、フリーのシナリオライターです。
Iさんは若い頃から映像や舞台の作品づくりに関わってきました。
最初はカメラマンとして自主映画をつくっていましたが、テレビ局の脚本家に気に入られてからは、脚本を一から勉強し直し、フリーでシナリオライターをしてきました。
時には、作品の企画からプロデュース、舞台の演出なども手掛け、誰もがきいたことのあるテレビドラマを何本も製作、有名な役者たちとも数々の仕事をしてきました。
実は、今も来年公開される作品を執筆している真っ最中なのですが、
1年間かけてやっと台本の初稿ができる段階です。
ここまで沢山の本を読み、図書館に通って膨大な資料を集め、歴史についても入念に下調べをしてきました。
「脚本は作品の設計図であり、しっかりとした台本がないと、良い作品は生まれない」とIさんは言います。
一方で問題なのが、
「とにかく収入が不安定なこと」
製作には何年という時間がかかりますが、ひとつの作品として完成してはじめて
収入が入ります。
つまり、その間は絶対に収入がとまる。
しかしそれでも、次の作品を創り出すためには、作業を続けていかざるをえません。
「大きい仕事の合間には、頼まれ仕事なんかで小銭を稼いでつないできた」
「それでも不思議と困窮する手前でなんとかなってきた」
収入が不安定でも、「好きなものだからやる」そんな思いで、Iさんはずっと脚本家という仕事を続けてきました。
「人の出会いって面白いものですよ」
これまでテレビや舞台の仕事をやってきた中で、様々な作品と出会い、沢山の俳優と出会ってきたIさん。
「作品とも、俳優とも、すべては出会いなんです」
お互いに一目で気に入ったり、話してみたらすぐに意気投合して、一緒にタッグを組むことになった人たちも多かったと言います。
そうした「仲間」たちとともに、沢山の作品を世に送り出してきました。
しかし、8年程前からIさんの周りには変化が訪れました。
親しく交友があり、一緒に仕事をやってきた、昭和を代表するような著名な作家、監督や俳優が、相次いで亡くなってしまったのです。
Iさん自身も現在72歳。
そしてついには、昨年末、最も仲の良かった脚本家までが旅立ってしまい、
「精神的にすっかり落ち込んでしまった」そうです。
今書いている作品も、本当は彼に頼もうと思って構想を練っていたのに・・・
でも、だからこそ「このシナリオだけは自分が書く!」
亡くなった親友のためにも、この作品を最後まで完成させることを誓ったIさんでした。
中野区内の月3万円のアパートで、年金と貯金を切り崩して生活してきたIさんでしたが、それまでの鬱々とした気持ちを切り替えるため、心機一転、引越しを思い立ちました。
仲間の俳優に、住まいを移したいと相談したところ
「公営住宅に入ったらどうか」と勧められ、区役所に相談に行きました。
そこで、公営住宅の抽選に当選するまでの間、当面の居場所としてエスエスエスの無料低額宿泊所を紹介され、入所することになりました。
最初は「どんなところだろう?」と不安で緊張していましたが、
朝夕2食の食事が出て、行きつけにしている中野区の中央図書館へも通いやすい。
そして、この施設では毎月レクリエーションの一つとして、「DVD鑑賞会」を開催しています。
利用者の希望をつのり、人気のDVDを借りてきて、施設の食堂で鑑賞会を行うのです。
仕事柄、この鑑賞会がとても気に入ったIさん。
毎月楽しみに参加しています。
今の生活について聞いてみると
「なんの不自由もない」
「ここに来たのも何かの縁で、出会いだと思ってる」
職業病なのか、ついいつも人の様子を観察しているというIさん。
いろんな人がいて、その人ごとの気質を知ることが、とても勉強になるそうです。
「ここに入ってよかったなと思う」
「実際の人間ドラマを見ていると思って暮らしている」
Iさんにとって良い作品とはどういうものですか?と質問してみたところ
「それはとっても難しい質問だなあ・・・」と少し考えた後、
「生きてて、ああ、良かった!と思える瞬間があれば最高だよね。もしも自分が1年前に死んでしまっていたら、今公開されている作品は観ることができない。どんなに良い作品であっても出会えない。だからそれも出会い」
「沢山の出会いがある中で、人々が感動する、人々の心に残る作品を残したいと思う」と話してくれました。
芸術分野においては、いつの時代にも「古典に返る」思想が存在します。
Iさん自身も、過去には時代物の長編小説について演出をしたり、
今現在製作中のものも、戦前を題材にしたものです。
「美術でも、文学でも、建築でも、なんでもそう。原点に立ち返ることで、新たなすごい発見があるものなんだ」
「自分が今ここにいるのもまさに原点に戻っていると言えるかもしれない」
最低限度の生活の中で、自分自身の原点に立ち返り、
「今こそ人々の心に残る作品をつくりたい」Iさんはそう考えています。
作品づくりに情熱を傾けているIさんのお話しを聞くと、収入の安定より、仕事へのやりがいを、何より優先してきたことが分かります。
高齢になり、今は生活保護を受けているIさんですが、残りの人生をかけて
再びヒット作を生み出すことができれば、生活保護を脱却できる可能性があります。
しかし、そうなったとしても、Iさんのような生き方を選択した場合、困窮に陥るリスクは生涯つきまとうものではないでしょうか。
わたし達は、こうした人生も否定することなく、支えていきたいと考えています。
文(聞き手):梅原仁美
取材日:2018.9.27
東京都中野区本町2-18-12
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NPO法人エスエスエス 東京支部
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