人気男性アイドルが酩酊状態で起こした問題行動や、有名女性アイドルの飲酒運転による交通事故…2018年は各メディアで「飲酒問題」がクローズアップされた1年でした。お酒を飲むことを習慣にされている方は、自分自身のアルコールとの向き合い方について振り返る機会が多かったのではないでしょうか。
一方で「アルコール依存症」という名前を聞けば、自分には縁がないと考える方が多いのも事実かと思います。
「確かにお酒は飲むほうだけど…」「たまに羽目を外すこともあるけど…」「酒癖が悪いって言われるけど…」
「それでも自分はアルコール依存症ではない」と多くの方が断言するのです。
しかし、2013年に行なわれた厚生労働省の調査では、飲酒者(1年に1度でも飲酒したことがある人)の8428万人のうち、アルコール依存予備軍といえる多量飲酒者(飲酒する日は60g以上飲む人 ※例:ビール中瓶2本+清酒一合=約62g)は980万人。さらにアルコール依存症の疑いがある人は113万人にのぼります。実に飲酒をする人のうち、10人に1人がアルコール依存と無縁とはいえない状態なのです。
たとえば「お酒を飲まないと寝付けない」「お酒を飲まなければいい人なのにと言われたことがある」「今日は飲まないと決めていたのに、結局飲んでしまう」「朝や昼からお酒を飲むことがある」…こういったことに当てはまる方は要注意。アルコール依存症の症状は突然に訪れるのです。
今回のコラムの主人公であるKさんもまた、自覚のないうちにアルコール依存に陥ってしまった人の1人。仕事に家事に子育てに昼夜を問わず必死に向き合っているうちに精神が崩壊。彼女の身体をアルコールが蝕んでいったのです。それでは、Kさんの半生を振り返っていきましょう。
2001年に結婚。その年に長女を授かり、2005年には次女を出産したKさん。夫が開業した居酒屋の経理関連を一手に引き受けながら、家事と子育ても1人でこなしつつ、お寿司屋さんのパートをして働いていたといいます。
それだけでも忙しいにもかかわらず、事態は悪化。居酒屋経営の調子がよかったのは最初の数年だけだったそうで、2013年には開業資金の借金を完済しきれぬまま閉店にまで追い込まれます。
タクシー運転手に再就職した夫の収入とKさんのパート代では生活費と借金返済はままならず、Kさんは仕事の掛け持ちをスタートしたのです。昼はドラッグストア、夜はコンビニで働きながら、家事・育児も1人でこなしていました。
相当忙しかったのではと聞いてみると「うーん、大変とは感じなかったですね」と笑顔で一言。元々頑張り屋で働き者だったKさん。その言葉どおり、本当に無理をしていなかった可能性もありますが、少しずつ心と体は悲鳴をあげていたのかもしれません。
「あの時、薬局を辞めていなければ、こうなっていなかったかも」と語るように、アルコール依存に陥るきっかけは“転職”でした。
「信頼していた店長さんが異動しちゃって。新しい店長とはソリが合わなくて辞めたんですよね」
その後、選んだ仕事は保険会社の営業。加入していた保険会社の担当営業から「僕の成績のために6ヶ月だけ働いてくれないか」と頼まれたことがきっかけだったそうです。
「6ヶ月限りの約束だったのに辞めさせてもらえないし、コンビニの仕事も続けていいと言われていたのに強制的に辞めさせられた。その頃からおかしくなったんです。メンタル的に」と呟いたKさん。
「とにかく上司の圧がすごくて。“周りにそろそろ死にそうな人いない?”とか“死にそうな人のところに行ってこいよ”とかいろいろ言われましたね」
限界を迎えたKさんはやっと保険会社を退職。しかし、その頃にはもう心身ともに崩壊していたのでしょう。
「なんか“私はここにいていいのかな”と思うようになって。本当によくわかんないですけどね(笑)」と苦笑しながら語るKさん。そこから半年間は「ほぼ引きこもりの状態で、1日中お酒を飲んでいた」といいます。
アルコールに溺れた状態だったにもかかわらず、元来の真面目な性格のせいか、家事だけはこなしていました。時には階段から転がり落ちたりするほど酩酊状態でしたが、掃除・洗濯といった一切の家事を担当していたそうです。
2017年10月。どんどんアルコール依存が進むKさんを見かねて、夫が行動に移します。Kさんの父親や妹などに協力を要請し、家族のだれかが必ず家にいるようにして、無理な飲酒をしないように見守り続けました。
しかし、周囲が思った以上にアルコール依存症は進行していたのでしょう。Kさんに様々な症状が現れます。
「今思えば笑っちゃうんですけど、部屋に小さいおばあちゃんがいたり、突然音が聞こえなくなったり…あとは当たり前の状況にパニックになることもありました。車の音が外から聞こえないと“おかしい!誰もいない!”って騒いだり。あとちゃんと歩けなくなって。踏ん張りがきかないから、歩き始めると自力で止まれなくて前に倒れちゃうんですよ」
「それでね、全く記憶がないんだけど、お風呂で包丁を握っていたみたいで。それを見た夫が保健所に連絡したみたい」と淡々と語るKさんは、ついにアルコール依存症治療を行なう病院へ入院することになったのです。
2017年11月から約半年間の入院生活を送っていたKさん。その日々について聞いてみると「入院中はとても楽しかったです。外出届さえ出せば、外食も外泊もできるし、もともと寝つきが悪いタイプだけど、病院ではぐっすり眠れました」と笑顔で語ってくれました。
「入院してから2週間くらいかな?夫から離婚届を渡されて。すぐに“はい”って返事しましたね。元々なんで結婚したのって結婚当初から言うくらい、お互いに合わないってわかってたから、別になんとも思わなかったけど」
清々しさすら感じる表情で語るKさんでしたが、お子さんのことについて聞くと表情は一変。「今、旦那の実家がある北海道で暮らしてる。家族で住んでた家も引き払われて。下の子がちょうど中学にあがるタイミングだったから、ちょうどよかったのかな。向こうに引っ越しました」と早口にそして寂しそうに教えてくれました。
退院後、SSSの施設(無料低額宿泊所)に入所したKさん。現在は月曜~金曜まで入院していた病院に通い、治療を続けています。
「ミーティングって呼ばれてるんですけど、アルコールの治療している人たちが集まって自分の意見を発表しあったりしています。あとはストレッチとかヨガとか映画鑑賞とか、いろんなプログラムがあって。楽しく通ってますね」
Kさんの言葉を借りれば、現在は本当に「普通に」「安定して」暮らしているとのことでした。
そこで今後について聞いてみると「担当医の許可は出ているので、仕事を探そうと思っています。でもね、自分なんかが雇ってもらえるかな?とかいろいろ考えちゃって、なかなか一歩を踏み出せないんですよ。今は履歴書を用意した段階ですね」となぜか申し訳なさそうに語ります。
「でもせっかくなら長く続けられる仕事をしたいと思ってるんです」と不安は感じながらも、働くことに対しては前向き。それもKさんには目標があるからかもしれません。
「やっぱり将来的には子供たちと暮らしたいですね。子供たちもこっちに帰ってきたいって言ってるし。こっちの大学に進学するかもって言ってるから、そうなったら暮らせるんですよね」と嬉しそうに教えてくれました。
仕事に家事に育児に…すべて自分で背負い、頑張りすぎてしまったKさん。共働き家庭が当たり前になった昨今 “ワンオペ育児”といった言葉も生まれましたが、外でも家でも無理をしている人が増えている時代なのかもしれません。
「頑張りすぎ」は、うつ病などの精神疾患、さらにはアルコール依存症、さまざまな病の原因のひとつといわれます。
そして、これらの疾患を1度乗り越えても「頑張りすぎてしまう人たち」は再発に至ってしまう人が少なくありません。
だからこそ、私たちのように支援をする側が焦らずに見守ることが非常に重要なのでしょう。
たとえば、Kさんは「長時間労働や責任のある仕事をするのは先生からダメって言われている。だからどんな仕事がいいのかな。倉庫作業とか単純作業から始めたらいいかなと思いつつね…」と自分がムリなく続けられる仕事は何なのかを模索しているようでした。
Kさんのような人たちがムリなく焦らず前を向いて進むことができるように、私たちは支援をしていかなくてはなりません。中長期的な視点を持って、再発を防ぐための職業選択までサポートすることが本当の意味での自立支援につながると感じた事例となりました。
聞き手:梅原仁美、文:中村まどか
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