アルコール依存症は「意志が弱い人がなりやすい」と思われがちですが、むしろマジメで完璧を求める人ほど、ストレスをためやすく、陥りやすいという意見があります。
今回インタビューに訪れたのは、生活に困窮した人の生活を支援する施設「海神荘」(船橋市内の無料低額宿泊所)に暮らすSさん(男性・68歳)。
お部屋にお邪魔すると、そこはDIY収納術の宝庫。
入口にかけたラックは靴収納、壁には長いロープを渡して布団を干しています。
「これみんな100円ショップで買ってきて自分でやったんですよ」
衣類はカラーボックスにきちんと畳んで整理され、目隠しの生地は着古したジーンズを切って取り付けたそうです。
「几帳面なたちで、ホコリが嫌いだから、毎日すみずみまで掃除してるんですよ」と言うだけあって一目できれい好きが見て取れます。
そんなSさんですが、一時期は幻覚や幻聴に悩まされるほどのアルコール依存症でした。
しかし、無料低額宿泊所への入所をきっかけに今ではお酒は一切飲んでいないといいます。
Sさんはどのようにしてアルコール依存症を克服できたのか、お話しをききました。
Sさんが21歳の時、父親はがんで他界。
その後4人の姉妹が順に嫁いでいったあとは、唯一の男子であるSさんが母と2人、父の残してくれた千葉県内の家で暮らしていました。
仕事はルート配送のドライバーで、配送センターから商品を積んで、決められたルートを回って小売店に配送する仕事。
昼の1便が終わると、次の便までの4時間の間に仮眠をとり、また夕方に仕事に出かけて翌朝に帰宅する、そんな生活でした。
「短い時間で仮眠をとらなきゃいけなくて、ガッと酒を飲んでは眠っていた」
決められたスケジュールを守るため、細切れでも睡眠時間を確保しようと、お酒の力を借りていました。
「もともとお酒が大好きで、50年近く切らしたことがなかった」
毎日ビール大瓶1本からはじまり、缶チューハイ1本、そのあとは焼酎のお茶割りを2~3杯。
そんなSさんに母は「あんたはほんとによくお酒を飲むねえ」と言いながらお酒を買い置きしておいてくれました。
毎日のお酒は欠かすことがなかったものの「母が元気だった頃は幸せだった」と話すSさん。
その母は高齢で92歳の時に大腿骨を骨折し入院してしまいます。
Sさんは、仕事の合間に時間を見つけては、病室を訪れ母を見舞いましたが、それからは車いす生活、ついには寝たきりになってしまいました。
母と2人ずっと一緒に生きてきたSさんにとって母の入院はとても辛く、仕事中も頭から離れず、ついには運転中に事故を起こしてしまいました。
「おふくろの見舞いに行きたいし、仕事がもう嫌になっちゃった」
看病に専念したい一心で、仕事を辞め、母と暮らした一軒家を手放し、60歳をこえていた自分は軽費老人ホームに入居することを決めました。
仕事を辞め、母を世話する余裕はできたのですが、その分余計に思い詰める時間が増えてしまいました。
「考えすぎるたちで、ますます眠れなくなった」
「時間に縛られなくなって、朝から晩まで飲みっぱなしだった」
幾度となく泥酔しては老人ホームの玄関で転んでケガをする始末。
ついには退去を宣告されてしまいました。
手元にはまだ自宅を売却したお金が残っていたため、その後1年間は毎日健康ランドで過ごしていました。
しかしそこでも酒を飲み続ける生活。
「アルコール依存症」という自覚はありませんでしたが、すでにSさんには「手の震え」「幻聴」「幻覚」といった離脱症状が起こっていました。
最初は「冬なのにセミが鳴いている、おかしいな」と思った耳鳴りから始まり、そのうちに、みんなには聞こえない声が聞こえるようになったそうです。
「何やってんだお前!」とどこからともなく話しかけてくる声が聞こえるようになりました。
さらには、夜目をさますと「顔がない人がすぐそこにいる」といった幻覚も生じだしました。
そしてとうとう、意識のない状態で暴れてしまったSさん。
「気づいたら警察官数人に押さえつけられて、パトカーに乗せられていた」
警察から市役所に連れてこられたのち、SSSの「幕張荘」(無料低額宿泊所)を紹介され入所することになりました。
自分が依存症だという自覚のないSさんは、宿泊所に入所してからも禁止されている飲酒を続けていました。
ほどなく仲間内でのもめ事からトラブルを起こしてしまいます。
SSSのエリアマネージャーと話をした結果「自分に責任がある」と認識したSさんは、幕張荘を出て別のSSSの施設「海神荘」へ移動することになりました。
この施設移動をきっかけに、Sさん本来の「マジメな性格」が呼び覚まされます。
「これ以上人に迷惑をかけてはいけない」
「決められたルールや規則を守らなければ」
さらに移動先の施設長から「アルコール依存症の専門治療をしている病院を受診してみてはどうか」と勧められました。
それまで依存症の意識もなく、ましてや病院での治療など考えたこともなかったSさんでしたが、素直にこの提案を受け入れます。
病院に行くことを決めたSさんでしたが、移動先の施設も当然のことながら飲酒は禁止。お酒を飲むわけにはいきません。
「その日から酒を飲まないと決めたんですが、3日間が死ぬほどつらかった」
アルコール依存症はお酒が抜けると、吐き気・不眠・イライラ・不安などひどい離脱症状が現れます。多くの患者はこの症状から逃れるためにさらに飲み続けてしまいお酒をやめられないのです。
「テレビを観ても、水をガブ飲みしても、うろうろしても、横になっても、どうしようもなかった」
「天国のおふくろが助けてくれないかなぁって、涙流しながら乗り越えた」
この3日間をなんとかやり過ごせたのは、まぎれもなくSさんの「強い意志」です。
「よくおふくろから『短気は損気』って言われてたから」
Sさんの忍耐強さが依存症に打ち勝った瞬間でした。
受診日を迎え、医師の問診でここ数日間の状況を説明したところ、「抗酒薬」ではなく「睡眠導入剤」で様子をみることになりました。
「寝る前に1錠飲むだけでピタッと眠れたんです。こんな薬があるならもっと早く病院に行けばよかった」
「ここに来て、病院にいけて本当によかった」
もともと眠るためにお酒の力が必要だったSさんですが、服薬することで不眠症はすっかりなくなったといいます。
「朝夕決まった時間に食事をとれて、規則正しい生活が送れるから健康的」
依存症のリハビリには宿泊所の生活が適しているとも話してくれました。
お酒を飲まない環境を作ること、医療の力を借りること、そして元来の忍耐強さで、Sさんは約50年続いていた飲酒を断ち切ることができました。
「意志が弱くてお酒をやめられない」そう感じている人ほど、実はマジメで思い詰めてしまう「Sさんタイプ」かもしれません。
そんな人にとってSさんの経験が、この先の一つの希望になればと思います。
文(聞き手):梅原仁美
取材日:2018.8.17
千葉県船橋市海神5-18-11
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