「親しき仲にも礼儀あり」
自己中心的な考えをせず、他人を重んじる日本人の美徳をあらわす言葉です。
例えば私の母親は、70歳をすぎるまで父親よりも先に入浴をすることを遠慮していたとのこと。最近でこそ健康を優先し、就寝時間が遅くならないよう遠慮するのをやめたそうですが、私達は、長年連れそった夫婦であっても“よい意味で”気をつかいあうような感覚を少なからずもっているのではないでしょうか。
しかし、その一方で、美徳とも考えられる遠慮も度が過ぎてしまう場合にはご用心。
私達が生きていく中では、必要以上に遠慮せず、自分の意見や気持ちを他者に伝えなくてはならない場面もあるでしょう。
今回のインタビューは、もの静かな元畳職人の男性が人知れず遠慮を重ね、生活困窮に陥ったお話です。
今年、生活に困窮した人の生活を支援する施設「坂戸荘」(川崎市内の無料低額宿泊所)で還暦を迎えたAさん(男性・60歳)。
20年ほど続けていた畳職人の仕事がなくなり、行くあてがなくなってから坂戸荘の利用を開始し、7年ほどが経過しました。
Aさんが生活困窮に陥った原因の1つとして、長くつづいた不況と同時期に人々の住まいに対する好みが変わっていったことがあげられます。
Aさん達が働き盛りの時に活躍できた和風建築は、平成の後半に入ると目に見えて減少し、フローリングに代表されるような洋風建築が主流になっていきました。
公営住宅の畳替えなど、かつては大きな仕事が入ると仲間うちで分け合うほどだった畳づくりですが、例えば新築マンションのごく一部にしか出番のないような“おまけ”に様変わりしてしまったのです。
Aさんは、仕事をもらっていた畳店に毎日、顔を出していましたが、通っても通っても「(仕事は)ない、ない、ない」と告げられ、交通費だけがムダになってしまう日々を送るようになっていきます。
最盛期には1日1万円を超える手間賃がもらえたのに、月に2~3万円、最後にはゼロに近くなってしまったAさんの収入。
次第に「交通費がもったいない」と自宅には帰らず、畳店のあった川崎市内のネットカフェに宿泊するようになりますが、Aさんには帰宅しない理由がもう1つありました。
それは、同居する兄との不仲。
毎日のように「仕事があるのかないのか」「帰ってくるのかこないのか」とヤキモキする兄。
それもそのはず、兄は脳梗塞が原因で半身不随となっており、介護サービスをうけるほか、日常生活にAさんの助けを必要としていたのでした。
とは言っても、「生活費をかせぐために仕事も欠かせない」
Aさんは細々と畳づくりの仕事を続けながら、自宅に帰ると兄の身のまわりの手伝いをしていましたが、帰宅できない日に連絡を入れると「もう帰ってくるな!」と兄は憤慨。ひどい時には玄関のチェーンをかけてAさんを家の中に入れてくれませんでした。
いくら不仲であっても、そこは血の繋がった兄弟。
本来であればお互いに助け合って生きていくところですが、生活費を入れることができず、半ば追い出されるようにAさんは自宅に帰らないようになりました。
「自分がAさんの立場だったら、話を押し通してでも家に住みつづけますよ」と水をむけたところ、Aさんは一言ぽつり。
「言えない・・・」
くわしく話を聞いてみたところ、社会保険に加入していなかったAさんの国民健康保険料を兄がずっと立て替えて納めてくれていたとのこと。
「ずっと恩をうけていたから、それ以上は言えない」と、Aさんは遠慮し、兄との争いを避け、実質的にホームレスを選択したのでした。
それから10日ほど川崎市内の路上やコンビニの片隅で生活していたAさんは、SSSスタッフの声かけをきっかけとして坂戸荘に入所。生活保護をうけて生活を立て直すことになりました。
生活保護を申請する際の扶養照会では、担当ケースワーカーが兄へ連絡。
兄はできる範囲での仕送りとして当初1万円、現在では5千円を毎月Aさんに口座振込してきます。
仕送りを受け取ることが決まった時、Aさんは兄へお礼の電話をかけました。
すると、兄から言われたのは「もう帰ってくるな」という念押し。
Aさんによれば、
「近所にいる昔からの知り合いに自分の存在を隠したいんだと思う」
「甥や姪にあたる姉の子どもが結婚する時に、こんな自分がいると困るから」
自分が家族にとっての「お荷物」ということでした。
その後、Aさんは坂戸荘に住所を移し、SSSの自立支援セミナーにも参加。
就職活動をはじめましたが、年齢と携帯をもっていないことを理由に不採用が続きます。
「仕事上の連絡に施設の電話を使うことができたのでは?」と聞いてみると、「それはわかっていました。だけど、取り次いでもらうのに施設長たちに迷惑がかかってしまうから」
Aさんの物静かで遠慮がちな性格をあらわす言葉が返ってきました。
そのうち若いころに痛めた首や腰の状態が悪化して長い期間をリハビリに費やすことになってしまったAさん。今でも曲がった腰に痛みを抱えています。
社会の中では、Aさんのように自己主張があまり得意ではなく、遠慮がちであるがために窮地に追い込まれる人も少なくないのではないでしょうか。
「人に迷惑をかけたくない」という気持ちが災いして、生活困窮に陥る人が存在することを少しでも多くの人に知ってもらえればと思います。
文(聞き手):竹浦史展
神奈川県川崎市高津区坂戸2-13-11
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