みなさま、あらためまして、日頃よりエスエスコラム『#あなたの知らない社会』をお読みいただきありがとうございます。
SSS広報担当の梅原です。
このコラムも本掲載で51本目になりますが、そのうち9本が女性当事者の方へのインタビューです。私自身が女性であることから、このうち多くの記事を私が担当させていただきました。
実際にSSSに寄せられる相談の中でも女性からの相談数は増加してきています。
1都4県で活動している事業所の中で、特に女性の相談者が多い埼玉支部。
過去2年間の相談者のうち平均23.5%が女性に関するものでした。
こういった社会的ニーズに対応するため、このインタビューを行った2018年7月には埼玉県さいたま市北区に全室個室の女性専用施設を開設したばかりです。
今回のインタビューはこの施設ではありませんが、同じ埼玉エリアにある女性専用施設で暮らすMさん・Yさん姉妹に、お話しを聞きました。
姉のMさんが生まれたとき、両親は若干20歳。
借金を抱えて逃げ回る生活で、両親はMさんの世話をまともにしていませんでした。いわゆるネグレクト(育児放棄)がひどく、おむつは頻繁に変えていないことがわかるほど汚れており、極度の栄養失調状態でした。
「祖母からは餓死寸前だったとききました」
この事実を知った父方の祖母は、Mさんを両親から引き離し手元に引き取りました。
その後に生まれた妹のYさんとともに、しばらくは祖母の家で暮らしていましたが、小学校にあがる頃、姉妹は児童養護施設に預けられることになりました。
施設では幼児から高校生までの子どもたちが生活していましたが、2人が入所した当時、この施設ではいじめが横行していたといいます。
「上級生から暴力を受けたり、押し入れに閉じ込められたりした」
「部屋のリーダーから、食堂のお菓子を盗んでくるよう命令された」
年上の子に逆らうと陰湿な仕返しをされるため、いつも人の顔色をうかがいビクビクする生活でした。
特に、まだ1年生だった妹のYさんにとって、身体的・精神的な苦痛を日々受け続けることは耐え難い「恐怖」でした。
頻繁にパニックを起こすようになり、物をやぶいたり、ガラスを割ったり、施設から脱走することもしばしばでした。
「もうイヤ!ここにはいたくない!」と泣きわめくYさんに、姉のMさんは、
「ここから逃げてもここしか居場所ないでしょ」と言い、そのたびに施設に連れ帰っていたといいます。
幼い頃のこの経験から、今でもYさんは強い不安や恐怖を感じるとパニック発作を起こしてしまいます。
2人にとって小学生の頃が「暗黒の時代」でしたが、次第に嫌な上級生が卒業していくと、いじめはなくなっていきました。
上級生になった姉妹は、年下の子どもたちのお世話をする立場になり、職員の作業を手伝ったり、お小遣い帳をつけたりしながら、生活のスキルを徐々に身に着けていきました。
「最後の方は、子ども同士助け合って、心を育てる良い場所になっていた」
しかし児童養護施設は利用できる年齢の上限が決まっています。
姉のMさんは高校を卒業すると、妹を残し、施設を出てひとり上京。
輸入食品などを扱うスーパーマーケットに就職しました。
接客係としてのまじめな働きぶりから、リーダーにまで昇進しました。
しかしその実情は、シフトに人が足りないと自分が穴埋めをするなど、過重労働ともいえる状態でした。
一方、2年遅れて卒業し就職した妹のYさんは、介護業界で働きはじめたのですが、ストレスや不安への耐性が弱い傾向からか自律神経失調症になってしまい退職を余儀なくされました。
Yさんは精神的な支えである姉を頼り、上京。
仕事が忙しく帰りが遅いMさんを、Yさんが家事を手伝うことで支え、姉妹2人助け合って落ち着いた暮らしができるようになりました。
そんな穏やかな暮らしもつかの間、さらなる苦難が2人に襲いかかります。
同じ児童養護施設出身で親しく連絡をとりあっていた友人から、融資詐欺をする悪徳業者を紹介されたのです。
あやうくお金を借りる寸前で「詐欺だ!」と気づいたのですが、すでに個人情報を教えてしまっていた後。
自宅や祖母宅への迷惑電話にととまらず、Mさんの職場にまでいやがらせをされる状態。
「施設では優しくて正義感の強いリーダーだったのに」
「心から信じていた友人に騙されて、ものすごくショックだった」
弁護士や警察に相談し、詐欺業者の件は解決したのですが、職場に再三迷惑をかけてしまったことからMさんは4年間務めたスーパーを退職。
2人で人材派遣の仕事を始めましたが、収入は安定せずとうとう家賃滞納からアパートを追い出されることになりました。
姉妹2人、頼るあてもなくただひたすら歩き続け1日は路上で一夜を明かしました。疲れ果て座りこんでいたところに通りかかった女性から「どうしたの?」と訳を聞かれ、事情を話すと「区役所に相談に行きなさい」と教えられました。
区役所で生活保護を受けることになった2人は、SSS埼玉エリアの女性専用施設(無料低額宿泊所)を紹介され入所することになりました。
「ここにこなかったらどうにもならなかった」
「私達を受け入れてくれるこういう所があって有難かった」
職員はそれぞれが一人一部屋使うことを提案したのですが、2人の希望は
「一部屋でいいですから2人一緒にしてください。お願いします」
その当時の気持ちを聞くと、
「周りを信用することができず、人と接することが怖かった」と言います。
親からの虐待、児童養護施設でのいじめ、そして信じていた友人からの裏切り。
幼少期からこれまで様々な心の傷を受け続け、きょうだい以外頼る人もいなかった2人には無理もないことだったかもしれません。
入所してしばらくの間は、食事を取りに来る以外、姉妹が部屋から出てくることはほとんどなく、「ひきこもり」の状態でした。
職員からの働きかけにより、就労準備訓練を受ける事業所に通ったり、施設内での清掃活動もしてみましたが、2人が周囲に適応するには時間がかかりました。
「視線恐怖症で、何事にもマイナス思考だった」とMさん。
「私は広場恐怖症で、人ごみでは周りが全員敵に感じた」とYさん。
しかし、部屋に閉じこもりきりだった2人を変えたのが、施設長の後押しと女性支援員の存在でした。
「施設長から、もっと本気でやってみたらと言われたときはショックで感情的になりました。でも冷静になったら、やっぱり生活を見直さなきゃって思えた」
「女性の支援員が施設に来てくれて、明るく優しく接してくれた」
それまでは入浴や洗濯はたまにしかせず、居室も散らかしっぱなし。
めったに部屋から顔を出さずダラダラと過ごす毎日でしたが、今では頻繁に食堂に降りてきては、掃除や消耗品の補充、昼食会の手伝いもするようになりました。
「人とのかかわりが増えて、いろんな話をするようになった」
「私達を分かってくれて話せる人が増えて、ホッとしてる」
食堂に飾っている季節の掲示物も2人が積極的に取り組み完成させたものです。
「施設で育ったから、お手伝いしたりするのは慣れてる」
「ありがとうって言われると、よっしゃー!って思います」
施設長から叱咤激励されたことを「雨降って地固まるって感じだよね」と笑って話す表情はとても明るく、若々しさを感じます。
2人がひきこもりから脱することができた一番の要因は、2人自身が「ライフスタイル」を変え、不安や恐怖と戦う努力をしたことです。
ですがこれに加え、同じように困難や痛みを抱えながら生活している施設の人々がおおらかに2人を見守り励ましてくれたことも大きかったのではないかと思います。
「自分たちから歩み寄らないと、何も変わらないですよね」と語るその視線の先には、社会に適応して生きていく自分たちのこれからの姿が、
もうすでに描けているように感じました。
文(聞き手):梅原仁美
取材日:2018.7.27
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