あなたは、自分が40代、50代になった時、親の年齢がいくつになるか考えたことはありますか?
20代や30代での結婚や出産が多いことを考えれば、おそらく70代、80代といった年齢に達する親をもつ人も多いのではないでしょうか。
「介護離職」という言葉があるように、こうした親の介護や看病などで仕事を辞めざるを得ない人も存在します。
兄弟姉妹がいれば力をあわせて親をみていくことも可能なはずですが、現実的には、そうと限りません。
今回の当事者インタビューは、仕事を辞めて親の面倒をみていたものの、協力するどころか暴力をふるう兄が原因で住まいを失った男性のお話です。
Hさん(男性・62歳)がそれまで勤めていた静岡のマージャン店を辞めて千葉の実家に戻ったのは今から10年ほど前。ちょうど50歳を迎えた時に父親が心臓を患い、倒れたことがきっかけでした。
当時、70歳をこえていた両親の食事や身のまわりの世話をHさんがすることになりましたが、それから3年ほどで父親は他界。
Hさんは、気落ちした母親と2人、実家での生活を続けることになりました。
両親ともに公務員だったこともあり、恩給(公務員等の旧年金制度)で食費や医療費などを賄うことができ、住宅ローンの支払いも済んでいたため、Hさんが働かなくても母親につきっきりになれたことは幸運でした。
しかし、経済的には恵まれていた一方で大きな不運にも見舞われました。
それは3つ上の兄による暴力。
高校を卒業して社会に出てから、沖縄や北海道の季節労働をしていた兄は30年ほど実家に帰っておらず音信不通に。
父親が倒れた時、わずかな手がかりをもとに母親が探しあて、関西地方で日雇い労働をしていた兄へと連絡がつながりました。
連絡を受けた兄は実家に駆けつけ、家族は数十年ぶりに再会。
この再会をきっかけに、兄は一定期間を関西で仕事、合間をみては千葉県内の実家に帰ってくるというサイクルを繰り返すようになります。
「まわりに人生を失敗してきたやつがたくさんいた」と酒もタバコもギャンブルもやらない兄。
Hさんよりも10cm以上、背が高い身長185cmの巨漢でありながら、時間のある時は図書館で借りてきた本を読みます。
再会してからの2、3年、父親が他界する頃まで、兄は静かな様子でしたが、徐々にささいなことで親やHさんにむかって怒鳴り声をあげるようになります。
例えば、耳の遠くなった親がテレビの音量を大きくしていると、
「近所迷惑だろ!バカヤロー!!」
Hさんや母親の買物袋やレシートをチェックし、
「なんでこんな高いもの買ってくるんだ!!」
この時、Hさんと兄は50代。そして、60代に近づくにつれ兄の仕事は減り、実家にいる期間が長くなっていく中での異変でした。
こうした生活が10年ほど経過するうち、兄はイライラすると怒鳴る、自室にこもっては床を足で「ドスンドスン」と30分以上も踏み鳴らすようになり、母親にこそ暴力をふるいませんが、Hさんを日常的に殴りつけるようになっていました。
そんな兄を避けるために、実家に帰ってきていると事前にわかっている時はサウナや友人宅に泊るようになっていたHさん。
しかし、とある日の夜、生活費をとりに実家に戻ると兄と鉢合せしてしまいます。
そこからでした。
兄はHさんにむかって「金がなくなると帰ってくんのか!!」と怒鳴って殴りかかり、顔面を必死で守るHさんの後頭部に拳を打ちすえ、さらには馬乗りになって殴り続けてきました。
まるで嵐のような暴力は1時間におよびました。
そして、兄は「お前とは暮らせない」「出ていけ」とHさんに言い放ちました。
所持金が300円しかない状態で追い出されたHさんは、「寝るところや食事をどうしよう」と考え、警察に相談にいきます。
被害届も書きかけましたが、暴力を振るわれたとはいえ血のつながった兄に前科がつくことや年老いた母親のことが頭をよぎり手が止まりました。
警察官には「もう家に帰らない方がいい」「事件になる」と言われ、市役所への相談を促されました。
バス停でその一夜を明かしたHさんは市役所に相談。
警察に相談したことに加えて
「こういう状態で追い出されてお金もなく家に帰れない」と話したところ、一時的に身を寄せることができる施設「佐倉荘」(千葉県内の無料低額宿泊所)を紹介され、その日のうちに生活保護を申請し、入所することを決めました。
佐倉荘を利用して6か月以上が経過し、生まれてはじめての施設生活にも慣れ、親しい人もできましたが、Hさんは今でも暴力を振るわれる夢をみたり、深呼吸をするとあばら骨が痛みます。
Hさんは、過去に20年ほどマージャン店の経営をしていたことがありましたが、店の売上を伸ばすことと接客に追われ、自分の老後はもちろん親の老後についても考えたことがなかったと言います。
ましてや、音信不通だった兄の暴力についてはまったく想定外のことでした。
経済的な面では親に依存していたとも言え、自分に貯金や仕事があれば生活保護を受けずに住まいの確保はできていたかもしれません。
しかしながら、それが家庭内暴力を防ぐための根本的な解決方法になったと言い切るのはむずかしいでしょう。
「住む場所を失う」「生活に困窮する」という背景にはこうしたケースもあることを知っておく必要があるのではないでしょうか?
文(聞き手):竹浦史展
取材日:2018.04.17
千葉県佐倉市並木町223
[お問い合わせ]
NPO法人エスエスエス 千葉支部
0120-853-733