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更新日:2018.05.16

かけちがった「人生のボタン」
負の連鎖が生んだ女性の貧困

当事者インタビュー:Oさん(女性・54歳)

#三多摩 #50代 #女性 #相続争い

負の連鎖をいくつまで許容できるか

みなさんは毎年、初詣にいっておみくじを引きますか?
「今年の運勢はどうだろう?」
「家族みんなが1年間、健康で過ごせるだろうか?」
というように、私は「運・不運」を年単位で考え、おみくじを引く手に力を込めますが、困窮者支援の現場ではもっと長期間にわたり「悪いことが重なった」という人も存在します。

病気、ケガ、失業・・・。
困窮の原因は、けっして「運」だけで片づけるべきではありませんが、たとえば10年間、ずっと負の連鎖がつづくとしたらどうでしょう。

今回の当事者インタビューは、メンタル不調、母親の介護、姉夫婦との相続争いの末、生活に困窮した女性のお話です。

「頭が介護でいっぱい」

Oさん(女性・54歳)が母親の介護をすることになったのは、当時、突発性難聴とうつにより離職中だった40代なかばの時でした。

腰の圧迫骨折をきっかけとして要介護状態になった母親は、寝たきりではないものの日常生活のほとんどに見守りが必要な状態。
介護の中身は、食事づくりをはじめ、入浴や排せつの介助・見守り、医療機関への同行など多岐にわたりました。

母親は、認知症ではなく、徘徊があるわけでもありませんでしたが、自力でトイレに行こうとして転倒することもしばしば。
トイレまで連れていき、便座に座ってもらうと「終わったら言ってね」と声をかけたり、「浴槽につかりたい」と言われれば体を支えて見守りました。

姉夫婦との相続争い

こうした母親の介護は、トータル約5年で唐突に終わりを告げます。
ADL(日常生活動作)がさらに低下し、入院して6か月。
なかなか回復に向かわない母親を評判のよい病院へと転院させた直後のこと。
髄膜炎をおこした母親はICUに入ると、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

予期していなかったことに、
「呆然として、しばらく放心状態だった」というOさん。
しかし、さらにここでOさんの姉夫婦が追い打ちをかけます。
介護はもちろん、入院中の手伝いも一切しなかった姉夫婦。

にもかかわらず、ムコとして養子縁組していた義理の兄は、実子扱いで遺産の相続権を主張。それにくわえて、介護をしていた間にOさんが生前贈与を受けていたとし、遺産のすべてを自分達のものとする争いをしかけてきたのです。

相続争いに敗れる

母親の介護をしていた間、仕事をすることができなかったOさん。
母親の年金のほか、父親からの遺産と自分の貯金で生活費を賄っていました。

特に父親の残した遺産は大きく、姉とも話し合いのうえ母親名義の口座でお金を管理していました。

ここから必要な家賃や水道光熱費、生活費のほか医療費などを支払ってきましたが、3年におよぶ調停では折り合いがつかず、さらに約1年の裁判をへて最終的にはOさんの敗訴が決定してしまいました。

裁判に敗れた1番の理由は、管理してきたお金の使途を証明できなかったこと。

Oさんは、「母親との生活に必要なお金だった」と認識していましたが、その根拠となるレシートや家計簿は残しておらず、「妹が好きにお金を使ってきた」という姉夫婦の主張に反論することができなかったのです。

「いっしょうけんめい介護するのとお金の管理は別物だった」
「家計簿をつけておけばよかった」とOさんは後悔を募らせます。

ウサギが原因で住まいも失う

調停が進む中で両親からの財産(貯金)を使うことができなくなったOさん。
とても就職活動できる精神状態ではなかったため、生活保護を申請しました。

姉夫婦と法的に争いつつ、単身生活を送るOさんは、経済的に困窮した状態にあった訳ですが、生活保護の住宅扶助の範囲内でアパートを借りることはできていました。

ところが、母と同居時から飼っていたウサギが原因で住む場所も失ってしまいます。

とある日、借りていた住まいに不意に現れた大家さん。
玄関をあけたOさんのうしろではウサギが跳ねていました。
大家さんの息子には了解を得ていましたが、年配で頑固な大家さんからは、ペット禁止にもかかわらずOさんが「隠していた」と腹を立てられ、すぐさま退去宣告を受けました。

そして、3か月後にはオートロックの暗証番号を変えられてしまい、Oさんは住む場所を失うことになったのです。

女性専用施設に入所

相続争いに敗れ、住む場所を失い、Oさんは生活保護の担当ケースワーカーに相談。その時の選択肢は、ビジネスホテルや友人宅のほか、ちょうど空きがあるという女性専用施設(東京都内の無料低額宿泊所)でした。

「中途半端な生活を送るよりは」と、この施設に入所することを決め、ケースワーカーからは「あくまでこちらでお世話になるのは短期で」と告げられました。

それから3か月。これまでウサギと過ごしてきた年の瀬とうってかわり、他の利用者とにぎやかに過ごす年末年始。

「食べるのが好きで、年越しそばを大盛りにしてもらった」
「少し変わった人もいるけど、みんな明るい」

施設での生活に慣れ、後ろ髪をひかれる思いはありますが、Oさんはこれから物件を探し、あらためてひとり暮らしをしたいと考えています。

どのボタンをかけちがったのか?

Oさんの話を聞いていくと、どこで「人生のボタン」がズレたのか、何が困窮の原因か、よくわからなくなります。

突発性難聴やうつなど、メンタル不調に陥ったことか?
母親の介護をしていたことか?
母親が急に他界したことか?
相続争いに敗れたことか?
ウサギを大家さんに内緒で飼っていたことか?

もちろん、すべてが不可抗力とは言えず、Oさんの自己責任はゼロとは言えません。
しかしながら、人生には抵抗することのできない負の連鎖も起こりうると考えることはできないでしょうか?

文(聞き手):竹浦史展
取材日:2018.01.05

女性専用施設(無料低額宿泊所・定員20名)

※名称・住所ともに非公開

[お問い合わせ]
NPO法人エスエスエス 三多摩支部
0120-127-374

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