前回の「車上生活でガマンした」服役中の夫を待つ母子の困窮と孤立(前編)
にて、Kさん親子が夫の犯罪がきっかけで車上生活に陥った経緯をお話ししました。後編では、どのように危機的状況を脱するのか、また、夫との関係はどうなるのかについてのお話です。
雪の降る夜に警察官からあった「当直室で保護するから」との提案を断ったKさん親子。しんしんとした寒さの中、ジャンパーを何枚も重ね着して迎えた翌朝。
また昨夜と同じ警察官がKさん達のもとを訪ねてきました。前回と違ったのは、市役所の生活保護を担当するケースワーカーとNPO法人エスエスエスの男性スタッフもいっしょだったこと。
そして、Kさんは生活保護のことや無料低額宿泊所という生活困窮者のための自立支援施設について説明を受け、その日のうちに入所することを決めました。
施設への入所と同時に、これまで統合失調症の治療ができていなかった息子はSSSスタッフの同行支援を受け、以前通院していた精神科に受診。そのまま入院することになりました。
そして、Kさんは自分達が新たに生活することになった居室に通されると、
「本当にここにいれるのかな?」とこれまでの車上生活とのギャップに驚きました。
例えば、布団に横たわると「久しぶりの布団が心地よかった」「枕に頭を乗せて眠るのも久しぶり」と嬉しかった反面、体を真っすぐにして寝ることに「半月ほど慣れなかった」と言います。
10か月間の車上生活で平らな場所で寝てこなかったKさんにとって、それはムリもないことでした。
そして、Kさんの右足の痛みの種となっていた炎症(蜂窩織炎・ほうかしきえん)も規則正しい食生活と睡眠を経てきれいに治り、医師からも驚かれました。
その後、住民票や免許証の住所を施設に変更。自家用車の廃車手続きについてもSSSスタッフの支援を受け、「人間の暮らしに戻れた」というKさん。
息子の精神状態は以前より落ち着いていますが、施設に入所してからの3年間に数回の入院があり、障害者手帳2級の交付を受けました。
今でも幻聴があり、外出しても後ろから人が近づいてくると「もう帰る」という息子。
Kさんとしては、「もう二度と(車上生活を)したくないし、させたくない」と考えています。
「車上生活をガマンした」のは、窃盗をして服役していた夫を待つためでもありました。そもそも、Kさんの夫はなぜ窃盗をしたのか?
そして、なぜKさんは夫を待つ気持ちでいたのでしょう?
Kさんの夫は、設備工事を20年以上にわたって自営。
Kさんも2人の子どもを育てながら現場に入り、二人三脚で仕事をマジメにしてきました。
問題だったのは「万馬券」を当てたことから夫がハマってしまった競馬。
はじめてのレースで100円の馬券を買い、それが25万円になったことをきっかけに夫は競馬に狂ってしまいます。
窃盗のきっかけは、設備工事の稼ぎを競馬につぎ込み、材料代や生活費を使い果たしてしまったことだったと後からわかりました。
競馬以外にも思い当たるのは、交友関係です。
以前は、行きも帰りも2人で現場へ向かい、仕事を終えるとまっすぐ自宅に帰る毎日でしたが、夫だけで設備工事をするようになってからというもの、だんだんと「取引先と飲みにいく」という機会が増えていきました。
夫は「取引先と飲みにいく」「○○さんがおごってくれる」と言っては飲みに行く回数が増え、いつの間にか毎日のように飲みに出かけるようになっていました。
しかし、Kさんも顔見知りだった仕事関係の人達との付き合いとあっては、「仕事をもらえなくなるかもしれない」という思いから、厳しく言う訳にもいかず、翌日の仕事に響かないように促すのが精いっぱいでした。
ただでさえ、息子の統合失調症から「夫に目がいかない状態」
しかも、それまで精神的にも経済的にも助けてくれていたKさんの実家の兄と父親があいついで他界し、「自分だけでなんとかしなければというプレッシャーが夫のストレスになっていたのかもしれない」
競馬をせず飲みにもいかない時は家族思いの良い夫。
生活はいつもカツカツでも、2人の息子が大きくなり、「もしかしたら家族みんなで設備工事をできるかもしれない」と将来を楽しみにしていたKさん。
そうした家族の歴史と絆によってKさんが夫の出所を待つことは、罪を犯したことを差し引いても何ら不思議なことではありませんでした。
Kさん親子が施設に入所して3か月が過ぎた頃、指折り数えていた夫の出所の時がやってきました。
なんとか再会を果たし、更生保護施設からの自立を目指すことになった夫と連絡を取り合う毎日。
「お前たちと一緒に住む場所を探すから」という言葉の通り夫はすぐに設備工事の仕事をやりはじめ、すべては順調にいくかに思われました。
ところが、そう考えていたのもつかの間・・・。
仕事が落ちついてくると、夫はまた競馬に手を出すようになってしまいました。
そして、出所から1年ほど経過した去年の初夏、夫の携帯が突如としてつながらなくなり、再び窃盗で逮捕されたことがわかりました。
またも夫の出所を2年ほど待つことになったKさん親子。
1回ならまだしも今回で2回目とあっては、社会的な信用もなくなり、家族としても「先が見えない」状態となりました。
夫は毎月、Kさんにあてて刑務所から手紙を出してきます。
そこには反省の弁や息子を心配する言葉、そして、出所後の生活について「父親らしい、夫らしい」言葉が並んでいます。
「刑務所には自由がなくきっと本人も辛い思いをしている」と考えるKさんですが、
「刑務所では食事と寝るところがあり、生きることは保証されている」
「でも待っている家族はそうとは限らない。残された人の方が辛いことも多い」と身をもって感じています。
服役中の人を待つ家族に対する心の支えや支援策について、もしかすると社会的な盲点になっているのではないでしょうか?
文(聞き手):竹浦史展
取材日:2018.2.20
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