暴力は性別にかかわらず決して許されるものではありませんが、
特に、配偶者等からの暴力、性犯罪、ストーカーなど、女性が被害者となることの多い暴力があります。
2001年にDV防止法が施行されてから16年が経過し、配偶者からの暴力等に関する相談件数は増加の一途をたどっています。(内閣府)
みなさんの生活の中にも「DV被害」という言葉が浸透し、日頃テレビやドラマ、ニュースの事件として耳にすることも増えてきているのではないでしょうか。
実際にDV被害を受けて逃れてきた人の多くは、仕事を辞めたり、住居を失ったり、それまでの生活を断念しなければならず、その後の生活に困窮してしまうことが少なくありません。
今回の当事者インタビューは、「性的暴力」そして「元夫からの暴力」、2つの暴力により生活困窮に陥ってしまったTさんのお話しです。
Tさんが最初の夫と出会ったのは故郷の秋田県。
18歳で結婚し、夫の転勤に伴い上京しました。
2人の息子を授かり、主婦として夫を支え、子育てに専念していました。
その生活に危機が訪れたのは、次男が小学校4年生の時。
ある日、自宅への帰り道で、男性から性的暴力被害にあってしまったのです。
加害者は、息子の同級生の父親で、他にも多数の被害者がおり、新聞やテレビのニュースにも報道されるほど大きな事件でした。
警察からの事情聴取により、Tさんが被害を受けたことも夫の知るところに。
「自分は被害者なのに、その日から夫と気まずくなり、夫婦関係はうまくいかなくなってしまった」
突然平穏な生活を壊され、やりきれない思いのまま、Tさんは夫と子供を残して、一人家を出たのでした。
「事件がなかったら普通の幸せな家庭だった」
「世の中なにがあるかわからない」
やけっぱちな気持ちだったといいます。
「一人ぼっちで生きていくしかない」
そう思って、水商売に身を投じたTさんでしたが、その後勤め先のスナックで出会った客と勢いで2度目の結婚をします。
普通の生活ではなく、自分も荒れていたし、相手も荒れていた。
そんな状況の中、娘を授かりました。
しかし、2番目の夫は結婚した当初からお酒を飲むと暴れ、Tさんに暴力をふるっていました。
「なんだかんだと言いがかりをつけてはなぐられた」
夫はお金にもルーズで、趣味の車にお金をつぎこみ、給料以上に浪費した結果、借金も作っていました。
故郷の姉弟と連絡をとってはいたが、余計な心配はかけられなかったし、他に相談できる人もいなかった。
「シラフではなんともなかったし、我慢するしかなかった」
ところが、娘が3歳になった頃、その夫が約300万円の借金を残して失踪してしまいます。
幼い娘をかかえ、借金を返済することは到底無理。
弁護士に依頼して自己破産の手続きをしました。
それからは、女手一つで娘を育てながら懸命に働きます。
子どもを保育園に預けて、できる仕事はなんでもしました。
近くに頼れる人もなく、娘と2人でがんばって生きてきました。
「小さい頃から気が強くて意地っ張りで、本当に頑張り屋な娘だった」
その言葉どおり、娘は高校を卒業すると独り立ちし、家をでていきました。
娘が独立し、アパートで一人の生活をつづけて数年が経ったある朝のことでした。
早朝外まわりを掃除していたところ、新聞配達をしていた元夫とばったり再会。
失踪からとうに7年が過ぎていたため離婚は成立していましたが、再び会った元夫は、以前とはうってかわり改心しているように見えました。
「苦労をかけたな」と優しい言葉をかけられ、
「以前とは人が変わった」Tさんにはそう思えたのでした。
しかし、Tさんの居場所を知った元夫がたびたび訪れるようになった矢先、
その元夫が脳梗塞で倒れ、半身麻痺の状態になってしまいます。
当然新聞配達は続けられず、生活保護を申請。施設もいろいろあたったものの、元夫を担当するケースワーカーからは、一緒に住んでやってくれないかと懇願されました。
娘からは
「人間ってそんなに簡単に変われるもんじゃない。お母さん、あんな人引き取ったら終わりだよ」
「あの人を引き取るんだったら、私の方には連絡してこないで」
そう反対されました。
娘からは止められたものの、元夫が変わったと信じたTさんは、元夫の同居を承諾することにしました。
再会した時は優しかった元夫でしたが、脳梗塞の後遺症で身体の自由がきかず、すべてが思うようにいかない。
そんなイライラが日増しに強くなり、ついにはTさんへの暴力が再発します。
酒を飲むと殴る、蹴る、たたく・・・。
しまいには酒をのまないシラフの状態でも手をあげるようになっていきました。
毎日のように暴力が繰り返され、その日もテーブルはひっくり返され、物も壊され、めちゃくちゃな状態でした。
Tさんは、自分の命が危ないと思うよりも先に、
「私の方が刺しそう」になって警察に電話したと話してくれました。
110番すると警察官が5~6人かけつけてきて、夫をとりおさえました。
体じゅう傷だらけのTさんに「救急車をよびますか?」と警察官が尋ね、
「これは昔の傷跡だから大丈夫」と答えたために、日常的な身体的暴力が認められ緊急保護されることになりました。
「てっきり、警察が元夫を連れ行ってくれるもんだと思っていたら、私の方が保護されて連れ出されちゃった」
Tさんは現在、女性専用施設(埼玉県内の無料低額宿泊所)で生活しています。
実はTさん自身も、49歳の時に脳梗塞を発症し、左半身が思うように動かせません。
室内での生活動作はほぼ自分でできますが、一人での外出は難しい状態。
脳梗塞の後遺症のほか、持病の糖尿病やそれによる合併症もあり、定期的な通院時には施設長が車で同行しています。
「施設長は面倒見がよくて、安心して暮らせている」
「買い物にも連れて行ってくれたり、ずいぶんと迷惑かけている」
Tさんの今の状況について娘さんはご存知ですか?という質問をすると
「娘には連絡していないから知らないと思う」
「今は自分の生活だけで精一杯だと思う。私のことまでまわらないと思うから」
母として、娘さんを思いやる言葉が返ってきました。
娘はとめてくれたのに、娘の言うとおりにすればよかった。
そんな思いもあり、連絡ができずにいるTさんですが、今後の生活について
「アパートを借りて一人で生活できるようになりたい」
「そしたら、娘ともう一回連絡をとって関係を回復したい」
と話します。
「性的暴力」と「元夫からの暴力」、この2つの暴力により、それまでの生活を壊されてしまったTさんですが、母一人、子一人助け合って生きてきた絆は決して壊されることがない、そう願いを込めつつ、女性に対する暴力がなくなることを願ってやみません。
文(聞き手):梅原仁美
取材日:2017.11.28
※名称・住所ともに非公開
[お問い合わせ]
NPO法人エスエスエス 埼玉支部
0120-862-767