90歳をこえた高齢者が住まいをなくす。
「そんなことあるの?」
一瞬、耳を疑いたくなりますが、NPO法人エスエスエスの運営する無料低額宿泊所には合計15人、90代の利用者がいます。(2017年10月24日現在)
無料低額宿泊所は生活支援や就労支援など、生活に困窮した人の自立を支援する施設ですが、行き場を失った低所得高齢者の受け皿にもなっています。
本来は、特別養護老人ホームや有料老人ホームなど高齢者施設への入所が選択肢として考えられますが、経済的にゆとりがなく、介護度が低い・つかないという場合、なかなか入所できる施設が見つかりません。
今回の当事者インタビューは、92歳の特殊なケース。
生まれも育ちも都心の一等地だった女性が住む場所を失ったお話です。
「Mさんたら、カット代より高いお駄賃を渡してしまうんです」
Mさん(92歳・女性)のヘアカットに同行した支援員が「気前が良いというか、良すぎというか」と複雑な表情で教えてくれました。
Mさんは、床屋にいってカット代1,800円のところ、2人の店員に「ジュースでも飲んでください」と1,000円ずつ合計2,000円を渡したというのです。
「気持ちだからとっておいてください」とMさん。
店員達は困惑し、お金を返そうとしましたが、Mさんは頑なにそれを拒否しました。
一般的な経済観念を超越しているかに思えるMさんが千葉県内に新しくオープンした女性専用施設(無料低額宿泊所)に入所したのは6か月ほど前のことでした。
入所の経緯は後述しますが、Mさんは都心で戦前から事業を営む両親のもとで育ったいわば社長令嬢。
大正生まれのMさんは、戦時中こそ航空本部の軍事工場で働いていましたが、終戦後、長年にわたって父親を支え、両親が他界したあとも事業を継いだ弟達の手伝いをしてきました。
住まいは両親が残してくれたビルの最上階とその下。
妹と2人で2フロアを使い、生まれ育った都心の一等地で安定した生活を送り続けるやに思えました。
しかし、昔からお金のことで信用をおけなかった弟の言うことを聞いたがために、90歳を目前にMさんの人生は暗転します。
子どもの頃、父親の財布からお金を抜いては友達にお菓子をおごっていた弟。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、弟の手癖の悪さは大人になっても、父親から事業を継いだあともなおることはありませんでした。
現金払いの仕入れ先にいくというのでお金を渡すとお釣りを返さない。
得意先の集金を懐に入れ「支払いを来月まで待って欲しいと言われた」とウソをつく。
「材料の仕入れに残高が足りないからお金を貸して欲しい」
こうしたことをあげたらキリがないくらい。日常茶飯事。
しかし、Mさんは頼まれるとイヤと言えない性格。
お金を無心されて断ることができなかったのか尋ねると、
「それができませんでした。私の性分で」という答えが返ってきました。
こんな弟が、とある時からMさんの住むビルの売却話を画策し、何度となくMさんに売却を懇願するようになりました。売値は3億円。
「このお金で残りの人生を過ごせばよい」と再三にわたりMさんは迫られます。
そして、弟はMさんの人の良さを知っていたのでしょう。
断り切れず承諾するMさんを郊外に住む2番目の弟と同居させる話をまとめ、不動産屋や会計士と売却話を成立させてしまいました。
こうしてMさんと妹は、千葉県に移住し、2番目の弟のマンションで同居を開始。
ところが、弟はMさんの予想をはるかに超える行動をとっていました。
会計士にビルの売却前から印鑑や通帳を預けていたMさん。
この会計士に弟の息がかかっていることを見抜けなかった結果、ビルを売ったお金を一度も見ることはありませんでした。
「(弟が)そこまで悪いことをするとは思っていなかった」というMさん。
「自分がバカだった」「お金って怖いわ」と悔やみます。
その後、ほどなくして2番目の弟が他界。
「(同居していたマンションを)今月中に出ていってください」と義理の妹から言い放たれました。
そして、「このあたりでどこか安いところありませんか?」と生まれてはじめて駅前の不動産屋へ。
妹と2人。賃貸アパートで新たな生活をスタートしたMさんでしたが、次は同居していた妹が要介護状態となり高齢者施設へ入所することになってしまいます。
ひとりぼっちになったMさん。不安定居住に歯止めはききません。
2人の年金をあわせて生活していたことに加え、もともと妹の名義で賃貸契約を結んでいたことから、契約更新のメドが立たず、不動産屋を介して市役所へ相談することになりました。
この時すでに要支援1の介護認定を受けていたMさん。受給している厚生年金は8万円ほど。この介護度と収入で入所できる高齢者施設は見つからず、行き場を失ったMさんは千葉県内の無料低額宿泊所に入所することになりました。
入所当時、弟への恨みつらみを口にして泣いてばかりだったMさん。
今でも過去のことを話すと自然に涙がこぼれます。
お嬢様育ちといえばそれまで。また、ターニングポイントがいくつもあったと考えれば同情の余地は少ないでしょう。
これから先のことについてMさんは、「早くお母さん達のところに行きたい」と口にしますが、右足が悪いことを除けば心身ともに健康。
「毎日毎日をとにかく生きていくことだけ」と話します。
これまでの長い人生を受け止めるのはそう簡単ではありませんが、施設長、支援員はMさんの気持ちに寄りそい、その生活を見守り続けます。
文(聞き手):竹浦史展
取材日:2017.11.20
※名称・住所ともに非公開
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