アパートや会社寮で暮らしていた人が、予期せぬケガや病気により、長期入院を余儀なくされる。
状態が良くなって退院の許可がおりても、家族がいない単身者の場合では、入院前の生活に戻れないケースも多くあります。
アパートは解約されてしまい、新たに契約することが難しい。
あるいは、すでに解雇されていて、会社寮には戻れない。
しかし、それ以前に、後遺症が残り1人では生活することが難しいという問題を抱えてしまったら、あなたはどうしますか?
今回のお話は、仕事に向かう途中事故に遭い、生涯にわたる後遺症を負ってしまったことから、生活に困窮してしまったUさんのお話です。
Uさんは生まれてまもない頃から、島根で農業を営む継父の家で育ちました。
自分だけが母の連れ子だったにもかかわらず、血のつながらない祖母から、とてもかわいがられて育ちました。
ただ、実子でないUさんは家を継ぐことは許されず、物心ついた頃から、いずれはひとり立ちして家を出るよう言われていました。
中学を卒業すると、大工の親方の家に住み込んで見習いをするようになりました。
毎朝6時に起きて親方の家の掃除をし、現場では親方の技を見て、着実に大工の腕を磨いていきました。
そんな修業も5年ほどがたったころ、東京で建設の会社をはじめた親方の息子がUさんに声をかけました。
「東京で、一緒に仕事をしよう」
上京してしばらくは、親方の息子の会社で働いていましたが、のちに会社が倒産。
その後も大工をつづけて30才を迎えるころ、時は鉄筋コンクリート造のマンションブーム。
若くて体力にも筋力にも自信のあったUさんは、木造大工をやめ、コンクリートを流し込むための型枠を組み立てる「型枠大工」に転身することを決めました。
最初はアパートで生活し、自ら仕事を探して、使ってもらっていましたが、ほどなくしてバブル景気を迎え、月の稼ぎは70万円まで増えるようになりました。
バブル崩壊後に不動産価格が下落したタイミングで、マンションを購入し、車も手に入れ、安定した生活を手にしたかに見えました。
バブルの頃は景気も良くて、仕事もたくさんあり、「東京に出てきて一番楽しかった」Uさんでしたが、実は30代の頃からギャンブルにはまっていました。
日曜祭日は競輪・競馬・競艇に通い、土曜日でも仕事が終わると現場近くの場外馬券場に足を運んでいました。
「あの頃は、楽しくてしょうがなかった」
しだいにカードローンに手を出し、借りてはまた返すことを繰り返すように。
「金利がすごく高かったけど、仕事もあるし、返していけると思った」
しかし、Uさんの予想に反し、2009年の政権交代後、地方公共事業費が削減され、建設業界はより不景気になりました。
「都心で空を見上げると、いくつもあったクレーンが全然なくなっていた」
仕事がなくなったUさんは自宅マンションも手放し借金の返済にあてましたが、それでも首がまわらず、弁護士に頼んで自己破産をし、債務を整理しました。
その時すでに還暦を迎えていたUさん。
「サラリーマンが60才で定年退職っていうのはよくわかる」
もうこれ以上大工を続けるのは無理だと考えるほど、体力の衰えを感じていました。
大工の仕事に限界を感じ、建設現場の雑工として住込みで仕事をはじめ、2年ほどがたった、ある朝のことでした。
事務所の2階にある住まいから、現場にでかけようと階段を降りた、
その時。
ズボンのすそに足が絡まって、1階までそのまま転がり落ちてしまいました。
その時についた診断名は、中心性頚髄損傷。
首の骨が折れて、脊髄の中心部に損傷を受け、左手は痺れたまま動かせず、右手も上にあがらない、両足にも違和感がのこる体になってしまいました。
仕事に復帰することはもはや絶望的。
仕事に向かう途中の事故でありながら、Uさんの仕事の契約は雇用契約ではなく請負契約だったため、労働災害による保険金の支給を受けることはできませんでした。
入院費や医療費を支払うどころか、これからの生活のあてもないUさんは、病院の医療ソーシャルワーカーに相談し、生活保護を申請しました。
急性期を脱してから、リハビリを行い、外科的手術も受けましたが、手の自由がきかないため、着脱・入浴が自分ではできません。
要介護認定を受けた結果は、要支援2。
「もしまた転んで、頭を打ったら、今度は2度と動けないからだになる」
医者にはそう告げられました。
1人での生活が難しいことから、Uさんは、生活に困窮した人の自立を支援する施設「コーポ佐倉」(佐倉市内の無料低額宿泊所)に入所することになりました。
現在、Uさんは介護保険制度を利用して、施設の浴室で週3回訪問入浴介護を受けています。
特別養護老人ホームに入所できる介護度は、要介護3以上。
障害年金を受け取れる等級は、障害等級3級以上。
Uさんはどちらにもあてはまりません。
けれど「1人でアパートに住むのはとても無理」な状態。
無料低額宿泊所は、こういった見守りが必要な生活困窮者の方の行き先の一つになっています。
あなたがもし、Uさんのように不慮の事故から後遺症を負ってしまったとしたら、
その先の人生を生きていくための備えがありますか?
十分な備えがなく、頼れる家族もいないとしたら、傷病手当金、高額療養費還付、そして生活保護といった社会保障制度を今から知っておくことも、役にたつかもしれません。
「誰かの助けを必要とする時が来るかもしれない」
「転ばぬ先の杖」という言葉がありますが、あなたにもいつか起こりうる出来事として、一度考えてみてはいかがでしょうか。
文(聞き手):梅原仁美
取材日:2017.10.27
千葉県佐倉市鏑木町2-9-28
〔お問い合わせ〕
NPO法人エスエスエス 千葉支部
0120-853-733