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更新日:2018.11.14

「生活保護受給は、自分の生き方に反する」
自力で数億円稼いだ経歴を持つ女性の意地(前編)

当事者インタビュー:Aさん(女性・63歳)

#埼玉 #60代 #女性 #元経営者

健康で文化的な最低限度の生活

もしも自分が生活保護を受給することになったら…と考えたことはありますか?福祉関係の仕事をしている人なら、1度はそんな想像をしたことがあるかもしれません。

「受給するのはいやだけど、仕方がない」と何とか自分を納得させるでしょうか。はたまた「もらって当然」だとすぐに受け入れるという人もいるかもしれません。

実際、生活保護受給者の多くが自分の現状と自分の感情に折り合いをつけ、日々を過ごしているのではないでしょうか。

しかし、中には「生活保護を受けるなんて恥ずかしい」と極限の状態まで我慢をする人も。最終的に生活保護を受給することになっても、自分自身の状況を嘆き続けている人が少なからず存在します。

今回のコラムの主人公Aさんも「生活保護受給は恥である」と考える1人。
「人様の税金で生きていくなんて、自分の生き方に反する」「本当に情けない」と涙ながらに語ってくれました。

「自力で稼いで生きていく」ことが当たり前だと考える彼女は一体どんな人生を歩んできたのでしょうか。

結婚、出産、離婚、寿司店の開業、息子との縁切り、そして芸者の道へ…とその半生は、まさに波乱万丈。一時には数億円を稼いでいた彼女が生活保護受給に至ったのも、常人には考えられないような事件がきっかけだったのです。
まさにお金を稼ぐ才能に長けていた彼女。前編では、そんな彼女が実家を出てから、繁盛店に成長した寿司店を廃業し、実の息子と縁を切る決断をするまでを振り返っていきたいと思います。

「自分で稼いで生きていく」と決めた女性の強さ

農家で生まれたAさんが家を出たのは20歳の時。親が決めた婚約者と縁談がまとまったことがきっかけでした。

夫となったのは、Aさん曰く“好きでもない男”。そんな夫との生活はすぐに終わりを告げます。結婚してすぐに暴力が始まり、最初のうちは「私に至らない点があるからだ」と我慢をしていたというAさん。

しかし、元来負けん気の強いAさんは我慢を強いられる生活に甘んじるような女性ではありませんでした。

結婚してすぐに長男を妊娠したAさんは、「このままではだめだ」と自分の力で生きていくための計画を練ります。子供のころから「自分で商売をしてみたい」と考えていたこともあり、産後半年で長男を実家に預け、その計画を実行に移すのです。

寿司屋の女将として成功

夫に内緒で寿司店や和食店などの仕事をしながらお金を貯め、持ち前のコミュニケーション能力で人脈をつくり、なんと21歳の若さで寿司店を開業。

世が好景気ということもあり、想像以上にお店は繁盛。特に好調だった大手ゼネコンの現場監督さんなどが常連となり、1日数百万円売り上げることもあったそうです。オープン後の1年で開業時に知人から借りたお金を返し、一等地にマンションまで購入。経営は軌道に乗りました。

自力で稼げるようになり、月収100万円ほどだったAさんですが、決して豪勢な暮らしをしていたわけではありません。実家で暮らしている息子と両親への仕送りだけでなく、お世話になった人たちへの恩返しに収入のほとんどを使い、余った分は少しの生活費と将来への貯えにまわしていたといいます。

「産んだだけの親だけどさ、息子に恥じるような生き方だけはしたくなかったんだよね」と語るAさん。

堅実な暮らしをしているAさんの人生は順風満帆に見えました。

寿司屋の廃業から、息子との縁切りに至るまで

しかし、開業から20年ほどが経ったある日、一緒にお店をやってきた板長が体調を崩してしまいます。開業時に板長と「どちらかがお店をできなくなったら、廃業しよう」と約束していたというAさんは、すっぱり繁盛店だったお店を閉めると決意。常連さんから惜しむ声はたくさんあったといいますが、約束は約束だからと意志を貫き、開店からちょうど丸20年の日に寿司屋の看板をおろしました。

「まだ40代。やり直せる」と前を向いたAさん。次に何をしようかと考えた時に、最初に思い浮かんだのは、10代の頃の奉公先だった置屋(※注)の女将さんが言ってくれた「何かあったらいつでもおいで」という言葉でした。

※注…料亭などに出向き、三味線や踊りで宴を盛り上げるプロである芸者を抱える家のこと。

「置屋」での仕事は、古くからの伝統芸能のひとつですが、偏見が多い仕事であることも事実。そのため、「置屋」へ行くならと、Aさんは息子との縁切りを決意します。

芸の道に入るとはいえ、実の息子と縁を切るほどではなかったのでは…とそう決意した理由を聞いてみると「息子の人生をジャマするような存在にだけはなりたくない」「高校の時からずっと付き合っている彼女とも仲良くしていたんだけどさ、結婚とかになると自分は親戚づきあいも向いてないし」と少し寂しそうに語ってくれました。

実際、置屋に入る前に、今後の生活に困らないくらいのお金が貯めてある通帳を渡して以来、息子さんとは1度も会っていないそうです。

とはいえ、息子さんとの過去について語るAさんの表情や口ぶりからは、確かに息子さんへの愛情を感じました。

芸者として生きていくと決めたAさんの今後の人生はどうなっていくのでしょうか。続きは(後編)でご覧ください。

聞き手:竹浦史展、文:中村まどか
取材日:2018.9.25

女性専用施設(無料低額宿泊所)

※名称・住所ともに非公開

[お問い合わせ]
NPO法人エスエスエス 埼玉支部
0120-862-767

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