ホームレス状態や生活困窮状態の人の自立を支援し、一時通過施設と位置づけられる無料低額宿泊所。
中には病気や障害、高齢を理由にその利用が長期化する人がいますが、その中でも少し変わったケースがありました。
Sさんが約3ヶ月のホームレス生活を経て、「越谷寮(埼玉県内の無料低額宿泊所)」に入ったのは、さかのぼること2005年6月のこと。
施設の利用者としては、長期利用者の部類に入ります。
Sさんは入所当時、いつも首にコルセットを巻き、越谷寮のスタッフルームにちょこんと座っていました。コルセットをしている理由を交通事故か何かでムチ打ちしているのかと思い、声をかけると「頸椎がちょっと」と笑顔で返してくれました。
しかし、Sさんの抱えている頚椎症は先天的なもので「ちょっと」では片づけられない深刻なものでした。
「頚椎症は身体症状の他にうつ病の原因になる」とSさんは言います。
Sさんは仕事上のストレスも重なってうつの症状が現れ、過去の仕事も同じ理由で退職。最後に勤めていた印刷会社を退職したのもうつが原因です。
Sさんは、印刷会社が借り上げたアパートを寮として使っていましたが、退職と同時にあらゆる意欲を失い、路上生活を選択。
頚椎症からくる歩行困難もあり、路上生活では自分より年配のホームレス仲間に3ヶ月ほど身の回りのことを助けてもらっていましたが、
「君みたいな体でホームレスは無理だよ。役所の場所を教えるから」
と市役所の福祉課をたずねることになりました。
そして、福祉事務所に相談した結果、越谷寮を紹介され、生まれて初めての施設生活と生活保護受給がスタートしました。
施設生活を始めてすぐ、Sさんは当時の施設長に勧められ、頸椎の手術をしました。術後、おぼつかなかった歩行は改善したものの、左足や体幹に障害が認められ、身体障害者手帳を取得。
そして、心身の状態から施設を出て生活することは難しいと考え、「できる範囲で協力したい」と越谷寮の仕事を手伝うことにしました。
Sさんは、鹿児島県の有名高校を卒業し、上京して東京都の職員採用試験に合格。東京消防庁管轄の消防署で13年間働いた経歴もある知的な人です。
印刷会社やその他の仕事の経験もあったため、電話応対やパソコン業務をはじめ、一般的な事務の仕事をこなすことに苦はありませんでした。
それから10年以上。Sさんは、途中で交代した現在の施設長のもとでもまじめにコツコツと仕事を続け、生活保護費の他、年金、アルバイト給与で生活を成り立たせています。
酒やギャンブルはもちろん、ムダづかいをしないSさん。
「(自分にとっては)十分過ぎる収入があり、余裕を持って生活している」
と言います。
日常生活を送る上で食事以外、洗濯や入浴、トイレも問題ありません。
もしかすると、訪問介護や配食サービスなど地域の福祉サービスを組み合わせることで、Sさんは施設を出てアパート生活ができるかもしれません。
ところが、本人の気持ちを聞こうしていた矢先、Sさんが施設内で倒れ、緊急搬送されたという知らせが入りました。
倒れた原因は尿路感染症による発熱。
同時に痛めた頸椎の治療とリハビリを経て退院できましたが、歩行器を日常的に使う体になってしまいました。
まだ要介護認定の結果は出ていませんが、本来、介護が必要な人を対象としていない越谷寮ではなく、より適切な介護施設へ移動することを検討すべき段階です。
しかし、Sさんの考えていることは、まったく違っていました。
「仕事をやれるところまでやっていこう。介護施設に入ったらアッという間に歳をとる。それは本意ではない」
一瞬、耳を疑いましたが、Sさんは介護施設をまだ先の話と考え、退院後もこれまで続けてきた越谷寮の事務の仕事を続けていきたいと言うのです。
それでは仮に、心身の状態を抜きにして、アパート生活できるとしたらどうかと聞いてみると、じっくり考えた上でこう返ってきました。
「仕事がなくなると...なんかね、不安になる。アパート生活ってそういう生き方も1つだけど、僕は本意ではない。できれば続けていきたい」
Sさんは、「(他のスタッフの)足を引っ張ることになるかもしれないが、バックアップできれば、それに越したことはない」と今日も越谷寮のスタッフルームにちょこんと座っています。
私はこうしたSさんの生き方を否定したくありません。
たとえその力がわずかだとしても、自分の持っている力を発揮できる場所。
世の中には、Sさんに限らず、そんな場所を求めている人もいるのではないでしょうか?
文(聞き手):竹浦史展
埼玉県越谷市北越谷3-8-24
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