わたし達が社会人として意識しなくてはならない「期限」や「納期」。
これらには必ず依頼主=クライアントの存在があり、時間的な約束を守るだけでなく、依頼内容に対する一定以上の質も求められるのではないでしょうか。
日本人の国民性として、「まじめ」「責任感が強い」と代表されるように、クライアントの要求がたとえ過度なものであっても、一生懸命それにこたえようとする人は少なくないでしょう。
また、こうした国民性もあってか、近年、日本社会の中ではうつなどのメンタル不調に悩む人が増加傾向にあり、いわゆる「つぶれる」人の存在をよく耳にするようになりました。
今回の当事者インタビューは、仕事に対する責任に追いつめられ、つぶれる直前に無断欠勤にいたったTさん(男性・59歳)のお話。生活に困窮した上、ホームレスも経験したTさんが再就職を果たし、地域生活を目指すまでに至ったエピソードを紹介させていただきます。
もうすぐ還暦を迎えるTさん。生活に困窮した人の自立を支援する施設「川越寮(埼玉県内の無料低額宿泊所)」の利用を開始して、1年半ほどになりますが、まずは入所に至る以前から振り返ります。
Tさんは、地方の公立大学を卒業したのち、ソフトウェア開発の会社に就職し、30年以上にわたって勤続していました。「仕事は好きでやっていました」と物静かに語る様子からは、まじめで実直な人柄が伝わってきます。
そんなTさんですが、勤めていた会社を辞めることになったきっかけは、意外にも無断欠勤。
納期をしっかりと守り、そのうえでクライアントからの要望にこたえることがTさんの役目でしたが、50歳をこえた頃から「いくら時間をかけても、残業しても思うように仕事が進まない」という毎日・・・。
心身ともに追いつめられ、ついには何の連絡もせずにある日、突然、無断欠勤をしてしまいました。
その後、諭旨免職(自己都合退職の扱い)の処分をうけたものの、会社の恩情によりフルタイムのパート社員として再雇用されたTさん。しかし、収入は大幅にダウン。5年ほどの間に生活が困窮していきます。
やがて、銀行のカードローンなどで多重債務状態に陥り、住んでいたアパートの家賃も数か月滞納。ついには、パート契約の更新に応じる気力もなくし、「野たれ死にしてもよい」となかば自暴自棄にホームレスになる道を選びました。
それから、公園や陸橋の下などを転々としながら、1年ほどホームレス生活を送るようになったTさん。日中をスーパーのイートインコーナーで過ごし、「試食のほか、お惣菜が半額になるのを待ってどうにか食いつないだ」といいます。
そんなTさんの救いになったのは、キリスト教系のボランティアの存在でした。
教会で定期的に食事やシャワー、散髪の提供をうけ、それがきっかけとなって、生活困窮者を対象とした自立相談支援センターの所長と巡り会い、生活保護の申請と同時に川越寮の入所へとつながります。
かかわりをもつ人達の温かみにふれ、「なんとかなりそう」と生きる気力を取り戻したTさんは、再就職のゆく手にあるハードルをつまずきながらも越えていきました。
まず、川越寮での生活に慣れたところで、施設長からのアドバイスをもとに履歴書を作成。貸し出し用のスーツを着て面接にのぞみ、みごと清掃会社の採用が決定します。
ところが、ホームレス生活でかつて60キロあった体重が45キロまで落ちるなど、体力的に回復しきれていなかったTさん。限られた時間の中でテキパキと動くまわりのペースについていけず1か月ほどで退職することになってしまいます。
つづいて、食品やジュース類などのギフト商品を箱詰めする会社に採用されましたが、こちらも荷運びする体力が足りず、1か月で退職。
その後も軽作業を中心に働き口を探しましたが、年齢や性別を理由にTさんを雇ってくれる会社はなかなか見つかりません。
さらに、就労率の高い川越寮では、昼間にほとんどの利用者が仕事に出かけ、「残っているのは65歳以上の高齢者か病気の人だけ」と日に日に焦りが募りました。
こうした中で、施設長との面談を繰り返し、「Tさんは誠実だし、地道にがんばってるから大丈夫」と励ましの言葉をうけ、「健康なんだから働かなくてはならない」と自らを奮い立たせたTさん。
2018年8月、川越寮の入所から8か月ほどで「3度目の正直」といえる採用をみごと手にしました。
Tさんが決めた仕事は、1回目の再就職と同じく、清掃のアルバイト。
週3回、1日4時間のマンションの清掃を休むことなく続けることができ、半年ごとの雇用契約を1度更新。
「規則正しい生活と食事で体力も体重も戻ってきました」と話す口ぶりからは、自分なりの手ごたえを感じていることが伝わってきます。
還暦になると同時に年金の繰り上げ受給を手続きするつもりのTさん。
この年金と清掃アルバイトの給与をあわせることで生活保護からの脱却を予定しており、地域のアパートへ転宅するための準備を福祉事務所のケースワーカーや川越寮の施設長と相談しながら進めています。
かつて心血を注いできた仕事から「逃げてしまった」「会社と連絡をとらなかった時が一番つらかった」と深い後悔をにじませつつも、「こらえてきてよかった」と自分の人生をまじめにやり直そうとするTさん。
「気力はあってもどうしたらよいかわからない状況から、自分の進むべき方向が現実味を帯びてきた」
「川越寮やまわりの方、今いる環境が未来へのきっかけを作ってくれた」と、こみあげる感情をおさえるように感謝の言葉を口にしました。
もしもの話にはなりますが、まじめで責任感が強いあなたに、万が一、つぶれてしまうようなことがあった時、Tさんのエピソードは再出発にむけた何らかのヒントになるのではないでしょうか?
文(聞き手):竹浦史展
取材日:2019.4.22
埼玉県川越市野田町1-7-4
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